8/26/07

日本食レストランに行く

パインハースト(Pinehurst) は、シーグローブから車で40分ぐらいのところにある、ゴルフと乗馬のメッカである。最近では6月下旬の全米女子オープンが開催され、宮里藍が出場していたようだ。

ここには海も山も無いけど、ゴルフ・乗馬、というお金のかかるレジャー施設がたくさんあるので、全米から集まる人たちでいつもにぎわっている町である。

さてパインハーストにはたくさんレストランがあり、その中に日本食レストランがある。「点矢(Tenya)」という名前。今日は友人と一緒に、ここで夕食を食べることになった。


前回来た時は、柴田は海鮮ちらし寿司、私はテンヤ弁当だった。今回は、柴田は同じく海鮮ちらし寿司、私はベジー(菜食)弁当にした。それぞれ$19、$18である。ちなみに一緒に行ったデイヴィッドはにぎり寿司セット、ナンシーはテンヤ弁当だった。(写真を取れる雰囲気ではなかったので、写真なし)。

店内はきっちりドレスアップした人たちでほぼ満席。店内の雰囲気、食事の見た目とデコレーションは、とっても良い。味は、人気のあるお店だけあって、悪くないのだろう。好き嫌いあるかもしれないけど。

面白いのは、ほとんどの人が、ちゃんとお箸を使って食事をしていることだ。まあ、今はアジアンレストランがたくさん増えて、お箸はすっかり市民権を得ているので、よほどド田舎でもないかぎり、全くお箸を使えない、という人を見かけることは少ないけど。

4人で、チップ込みで$130ぐらい。たまにはこうして食べに出かけるのも、悪くないな。

点矢(Tenya)
70 Market Sq., Pinehurst, NC 28370
Village Of Pinehurst
910-255-1085

8/21/07

故郷に戻る

先週末、やっとバージニア州に行ってくることができた。片道4時間のロングドライブだった。

2003年の正月に、1年間3ヶ月住んだマサチューセッツを離れ、バージニア州アポマティックスにやってきた。ここにあるカブ・クリーク陶芸スタジオというところで、半年間、毎日朝から晩まで陶芸漬けの生活をした。100エーカー(約12万坪)の敷地にはスタジオ、登り窯、築200年の屋敷、池が数個、巨大な森と、いかにも、なアメリカのド田舎での陶芸生活だった。

隣町ファームビルにはロングウッド大学があり、ここの美術学部の教授であるランディーさんがとてもよくしてくれた。日本のやきものと文化をこよなく愛する人である。学生のために陶芸ワークショップやレクチャーを何度かさせてもらった。人口より家畜の数が圧倒的に多いアポマティックスでの生活に嫌気がさしたら、よくファームビルに来て気分転換をしたものだ。

その後私達が日本に帰っても、彼らとはメールなどで連絡を取り合い、いつかアメリカに帰ってくるからと私物をたくさん預かってくれたりもした。結局、日本帰国後2年を待たずにアメリカに帰ってきて、しかもとなりの州ノースカロライナで陶芸に関わる仕事を始めた。約400キロ離れた思い出の土地は、私達の故郷のような存在でもあるのだ。

ノースカロライナからまっすぐ北上し、バージニア州境を越えると、風景が少し変わる。土地の起伏が激しくなり、森が大きくなる。アパラチア山脈が東向きに迫ってくるからなのかもしれない。また、ノースカロライナ中部は家具の生産が盛んで、そのために木を伐採して売る人が非常に多く、大きく育った森が少ないということもある。

ファームビルに着き、ランディーさん家族と食事をしたり、時に大笑いしながらとりとめも無い話をした。次の日はダウンタウンにあるレストランのサンデー・ブランチを食べに行き、巨大なオムレツをほおばった。長い間預かってもらっていた大壷を受け取り、昼過ぎにファームビルを出て、40分ほどでアポマティックスのカブ・クリークに到着。

現在4人の若いアーティストがスタジオで制作をしている。カブ・クリークのディレクターであるジョンは、そこから車で5分ぐらい行ったところ(もちろん敷地内)に、新しい家を建てている。

実は昨年のクリスマスに、前の家、築200年の屋敷が火事に合い、ジョンは家を失ってしまったのだ。

幸い火災保険にて家の再建の費用はカバーされたのだが、ジョンが30年に渡って集めてきた陶芸作品の数々、もう絶版されたであろう美術図書、その他工芸品などは、価値なしと見られてカバーされなかった。たとえされたとしても、お金では買えないものだっただろうけど。

そんな困難を乗り越えて、ジョンと若いアーティスト達は家を建て、次の目標に向かって毎日一生懸命働いている。

人間がんばったら何でもできる、ということを改めて思い知らされた旅になった。

8/10/07

今日の晩ごはん

最近、外に出ると、頭がクラクラするぐらい暑い。
熱波が通り過ぎるまであと数日。熱中症に気をつけないと。

そんな暑い日の晩ごはんに、どうしても食べたくなったのがカレー。
あいにく、日本製のカレールウは切らしている。
でも、この前の買出しでゲットしておいたカレーペーストがあったので、
これで辛うまカレーを作りました。

使ったのはPatak's Mild Curry Paste。一瓶$5ぐらいだった。
ウェブサイトはこちら http://www.pataks.co.uk/
よく見たら、メイド・イン・イングランド。

こういうカレーペーストは、前回ロンドンにいた時に、よく買った覚えがある。
お肉や野菜、適当にチャチャっと炒めて、これを入れてカレーを作った。

イギリスはインド系移民がとっても多いので、スーパーマーケットのインドセクションは、すごく 充実している。インド専門食材店もたくさんあるし、デリやレストランも多い。外で何度かインド料理を食べたけど、どこで食べてもとても美味しかった。当たりが良かったのかな。

さて、今日は、頂きもののナスたくさん、牛ひき肉、完熟トマト、のカレー。

これらをしっかり炒めてから、前の日に作っておいたトマトソースも入れて、上記のカレーペーストを大さじ3杯ぐらいいれた。

そしてクミン、コリアンダー、カレーパウダー、ローリエの葉っぱ、塩コショウ、バジルもいれた。

15分ほどでカレーが出来上がり。

生野菜とごはんののったお皿に、カレーをたっぷりかけて、あつあつ、フーフー、と頂きました。

やっぱり夏は、カレーやなあ。

8/3/07

窯出しの日

今日の夕方、窯のふたを開けた。そして友人達が集まってから、窯出しをした。

作品を出した後はみんなで窯を掃除して、その後はスタジオでポトラックパーティーだった。

8/1/07

最後の登り窯焼成

7月27日(金)、朝からギラギラと太陽が照りつける中、黙々と窯詰めをした。器を運び、土の玉を作っては器の底に貼り、一つ一つ窯に詰めていく。気の遠くなるような作業である。

今回の登り窯が、ポタリーセンターでの最後の窯焚きになる。2005年9月1日から始まった、私のアーティスト・イン・レジデンスプログラムは、これで終了だ。2年間、本当にいろいろなことがあったし、薪窯もたくさん焚いたし、9月から始まる個展のための制作もできるだけのことはやった。あとはこの窯焚きがうまく行けば、もう思い残すことはない。

さて、午後7時半には窯詰め終了、窯のふたも閉じて、ガスバーナーであぶり開始。家に帰り、ごはんを食べ、早めにベッドに入って休息を取る。

次の日の朝2時半に柴田が窯に行き、薪でのあぶりに変える。あせって温度を上げすぎると、作品の生地の焼成切れになるので、ゆっくりと薪をくべていく。

午前11時に、窯番交代。私と、今回窯焚きを手伝ってくれるウェインさんと2人で薪を入れていく。柴田は長い窯番をとりあえず終え、家に帰って夜まで睡眠を取らねばならない。昼間しっかり寝るのは、結構難しいのだけど。

窯番が変わると、焼成のリズムも変わる。午後のきつい日ざしと高い気温で、体力が消耗する。

夕方5時に、友人のデイヴィッドが窯焚きの手伝いに来てくれた。交代して、休憩しながら、窯の様子を見る。温度の上がりがちょっと遅い。煙突のダンパーを閉めすぎなのか。でも窯なりに上げていけばいい、と思った。

午後7時半に柴田が復活。これからサイドストークが始まるので忙しくなる。ウェインさんもデイビッドも、最後まで一緒に窯を焚いてくれると言っている。夏の窯焚きは本当に疲れるのに、二人とも真剣に助けてくれようとしている。とてもありがたい。

午後10時ごろ、一の間のコーンの11番、場所によっては12番が倒れ、焼成を止める。二の間(塩の間)に移り、薪をくべつつ温度を上げていく。8番が倒れたところで窯に塩を投げ入れる。煙突から、塩のガスがモクモクと上がっていく。その後、塩をしっかり焼き切るように、温度を上げていく。

午前2時、コーン11番が倒れ、焼成終了。土で窯の穴を塞ぎ、煙突のダンパーを閉め、窯の周りを片付けて、窯焚きが終了した。薪投入が24時間、ガスでのあぶりを含めると30時間の焼成だった。

最後まで一生懸命窯を焚いてくれた、デイビッド、ウェインさん、柴田には、いくら感謝してもし足りないぐらいだ。本当にありがとう。

窯出しは8月3日(金)、夕方。うまく焼けていますように。